本文
在山東臨沂縣東九十里。東望滄海。汪洋無際。因名。宋紹興三十一年。魏勝復海州。遣將入沂州。降其衆。旣而金人圍海州。沂民壁蒼山者數十萬。金人圍之。久不下。寨首滕[⿱日狄]告急於勝。勝擊寇却之。入寨。爲金人所圍。勝度其必復攻海州。因間出寨趣還。金人果解蒼山之圍攻海州。勝復敗却之。是也。上可瞰海。中有石室。世傳安期生徐則昇仙處。又費縣南五里亦有蒼山。 1
補足情報
<span style='visibility:hidden;'>中華人民共和国 山東臨沂</span>
【脚注】
- p.1126四段目。[⿱日狄]→拡張Fまでの範囲には収録されていない。典拠は『讀史方輿紀要』卷三十三か。『宋史』卷三六八も同字に作る。 ↩