宋の青磁
宋の青磁(のはず)

 

 

清代の磁器
清代の磁器

 

ガーネットをあしらった吊り飾り
ガーネットをあしらった吊り飾り

 

 

東屋から見た金角湾
東屋から金角湾を眺める

 

◎トプカプ宮殿

 アヤ・ソフィアを出た後、続いて近所のトプカプ宮殿に向かう。この辺りはオスマントルコの中枢部であったのみならず、古のビザンティン帝国の中枢部でもあったところだ。イスタンブールを取り巻く7つの丘の一つに位置し、海岸沿いから見ると高台に宮殿やモスクが林立する様が見て取れる。写真を撮るにはいい感じだ。しかしやたらめったら狭い道を通ることになるので、一人で行く方は迷わないように。

 さて、トプカプ宮殿だ。この名前の由来は、マルマラ海に面した城門に備え付けられた儀礼用の大砲に由来する19世紀以降の俗称で、「大砲門」 を意味する。それ以前には「新宮殿」 と言っていた(旧宮殿所在地は、現在のイスタンブール大学)。外城壁の中に観光バス用の駐車場があるらしく、第一の門たる「帝王の門」 を幅ぎりぎりの観光バスが注意して通る。我々は更にその隙間を通る。しかし暑い! 湿気がある分、アンカラなんかよりも暑く感じる。また宮廷部分の門まで距離があるので、暑さ倍増。さすがにここいらは都市部なので、エフェスのような上半身裸の男性や、素っ裸の子供はいない。皆同様に暑そうだ。

 暑い暑いと書いていると、思い出しそうなのでやめる。さて、入り口だ。ここでもセキュリティチェックがある。しかも二回。お宝が転がっているとはいえ、日本の寺社博物館に比べれば、警備が物々しいこと(日本でも陰で目立たないようにやっているかもしれないが、よく知らない。)。いよいよ宮殿部だ。建物は高級感溢れる大理石を貴重とした建物群。元々遊牧民であったトルコ族らしく、でかい宮殿と言うよりは、幾つかのでかい東屋を回廊で取り囲んだイメージがある。別に18世紀に建てられたドルマバプチェ宮殿があるが、あそこはトルコルネサンス建築で、すっかりヨーロッパ風なのに比べ、こちらの方がトルコ=イスラム王朝のイメージが色濃い気がする。

 ここのコレクションで有名なのが、東アジアの陶磁器・宝石・服飾・絵画等々だが、今回は時間の都合で前者二つを主に見る。先ず陶磁器。ここは、当時の厨房関連施設を、展示スペースに充てている。同行の人は余り関心がないようだが、ここのコレクションは世界有数の量と質を誇っているのに、勿体ない。博物館で学芸員の気合いの入った展示を見慣れている私にとっては、いい加減というかぞんざいに見えるのだが、興味がわかないのはそれもあるのだろう。展示方法一つでいい加減な物もよく見えるのかも。その辺りもテクニックなんだろう。勉強になる。まあ本当にいい物なら、勝手に物が語りかけてくるそうだし、ここはそれでいいのかもしれない。

 さて、実際の展示物だが、青花磁・粉彩磁・青磁・白磁・色鍋島等々。ヨーロッパの模倣なのか、こちらがオリジナルなのか知らないが、どうもあちらの人は陶磁器に金銀の象眼や飾りをつけることが多い。割れると困るからということもあるんだろう。まあ、趣味性の違いと言っては何だが、やはり磁器には何もない方がよい。どれをとっても「う〜ん、すばらしい。」 の一言だが、「龍の爪が四本。」 等、余計なところをチェック。やはりトルコも中国にとっては夷狄の国らしい。古伊万里だったと思うが、妙にデザインが怪しかった。中国の磁器もイスラム風のデザインの物もあり、明らかに貿易業者や注文主のオーダーに応じたデザインをしているようだ。「おい、勉強せえよ! おとといの陶器屋!」 ここでも写真を撮ったが、しっかり手ぶれしていた・・・(涙)

 いい陶磁器をさんざんっぱら眺めたので、満足。でも暑いことには変わりない。さて、次に見るのは宝石類だ。600年続いた大帝国を象徴するように、ここには宝石がわんさかある。奥さんお勧めのコーナーだ。 「おお、エメラルドが点呼盛り!」 そう、まるで冬のミカンのように、深皿に空豆ほどあるエメラルドが山と盛られている。一こだけを丁寧に展示するのも綺麗なもんだが、迫力で押してくる展示方法は、大帝国のよすがを忍ばせる。日本じゃあこうは出来ない。やはり日本は東夷なのだ。こういうところに来ると思い知らされる。さて、エメラルドの山盛りだけではない。他にも有名な「トプカプの短刀」 と称される、でかいエメラルドをあしらった短剣や、赤ん坊の握り拳ほどあるガーネットをこれでもかとあしらった吊り飾り。「スプーン職人のダイヤモンド」 という世界有数の巨大ダイヤモンド(何でもミステリーダイヤの一つらしい。)。天然真珠を千個単位で使ったような玉座・・・ 挙げればきりがない。女性男性を問わず、一度ここは見ておくといいかも。この中にはこっそり「バプテスマのヨハネ(イエスに洗礼を施した人)の右腕の骨」 と称するものもあった。この手の聖遺物は、イタリアやエルサレムに行けば山ほど見られるが、ここにもあるとは知らなかった。さて真偽のほどはどうだろう? 異教徒の遺物なので、イスラムの聖遺物が別室に丁寧に展示されているのに比べ、これは宝石と同じ扱いである。やはりここはイスラムの国だった。写真の状態は、前と同じ。悲しい。

 さて、宝石を堪能した後は、東屋に行く。「ハーレムは?」 と御期待の向きもあろうが、残念ながらあそこに行く時間がないそうなので、今回はパス。まあ別料金だし、予約制なのでしょうがないが。東屋に行く途中、アヤ・ソフィアで見たのと同じ帽子をかぶった集団が、建物の修理をしている。どうやら修繕は同じ研究機関がやっているみたいだ。若い人が多いので、美術学校の学生かもしれない。

 さて、東屋だ。正式にはイフタリエという建物である。ここでオルハンが説明を始めるが、写真を撮るよいスポットらしく、他の観光客からクレームが来たのでどく。従って暑いところで話を聞く。まあ、それは兎も角、確かに景色がよい。海風もきもちいい。この辺りは、キリスト教以前にはアクロポリスが在ったところで、またビザンティンの中枢部を構成する一角でもあり、旧市街では多分一番眺望がいいところだろう。コンスタンティノープルが包囲される度に、この辺りから「来てるよ、来てるよ」 と敵の姿を目の当たりにしたのかもしれない。その気になれば、遠眼鏡で両者の姿を確認することなど造作もない距離だ。結構怖かったのかもね。

 東屋でやや涼んだ? 後、イスラムの聖遺物展示室に行く。一応宗教が絡むので、写真撮影は禁止なのだが、キリスト教国の人と思しき連中は、バシバシ写真を撮る。刺されるぞ、おい。異教徒は関係ないのね。これだからセム系一神教徒って。あ、これじゃあ私も刺されてしまうではないか。(^_^;)

 さて、肝心の聖遺物だが、建前として偶像崇拝を禁じているイスラム教に、こんな物があるとは不勉強にて知らなかったのだが、興味深かったので見ることにする。なんでも、セリム一世がエジプトのマムルーク朝を滅ぼした折り、マムルーク朝にあったアッバース朝の亡命カリフだか、マムルークのスルタンだか、メッカの太守(マムルーク朝のスルタンは、イスラムの二大聖地たるメッカとメディナの守護者、要するにイスラムの代表者の資格を持っていた。現在はサウジアラビアの君主が持っているはず。)だかの持っていた、これら聖遺物をいただいたのだそうな。まあ、これもイスラムの正統権威を証明するものの一つだったのかもしれない。本物か否かは兎も角、長年持っていることこそに、権威は付随するものなのである。

 初めに見たのが、ムハンマドの書簡、多分羊皮紙なのだと思うが、すっかり黒ずんでいる。一応文字らしきものはわかる。続いてムハンマドのヒゲだ。これもすっかりくちゃくちゃになったのを、小瓶に入れている。言われなければ気づかれない代物だ。しかしムハンマドの物なので、何故か一人感動する。何時からか不明だけど、大事に扱われてきたんだろうね。きっと。他にも幾つかあったが、印象に残っているのは歴代アッバース朝のカリフが使用した、コーランのカバー。当然黄金・宝石がちりばめられているのは言うまでもない。どこでも聖典ってこんなもんなんだよなあ。まあ五経の黄金螺鈿の装丁なんてのは見たこと無いけど。マントもあったらしいが、気が付かなかった。不覚。

 これでトプカプ宮殿散策は終わる。とにかく暑かった。エフェスとは別の意味で。さて、車に乗ってお昼御飯へ向かう。後で、肖像画の部屋の見学をを忘れていたのを思い出す。我ながら情けない。見たい物いっぱいあったのに。(涙) しかし、今日は泣き顔が多い。全く。

 余談だが、日本に戻ってきてから、あの? ピリ・レイス地図がここの所蔵だったことを思い出し、意味もなく悔しがるのであった・・・。 (^_^;)


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