曹眞殘碑


曹眞殘碑表面(リンクは京大DB)曹眞殘碑裏面(リンクは京大DB)

※画像は、『北京図書館蔵中国歴代石刻拓本匯編』2(北京図書館金石組編 鄭州:中州古籍出版社 1989〜 )所収拓本より作成

追加:

京大漢字情報センターが公開する「京都大学人文科学研究所所蔵 石刻拓本資料」データベースに、本石碑が含まれています。画像も大きいので、文面もそれなりに読めるかと思います。

リンクはこちらです。「」「

他にも「魏上尊號碑」「魏受禪碑」等の拓本が見られます。こちらからどうぞ。


 清朝、道光年間(1821-1850)に陝西省西安城南門外十里ばかりの所から出土しました。当時から上記画像のような一部分だけ残っていたようです。大きさは縦76cm×横99cmです。現物は北京の故宮博物院に収蔵されています。

 内容は、魏の大将軍「曹眞」に関する碑文で、生前に雍州牧であった彼の事を、地元の人々が顕彰して立てたものだそうです。これについては、裏面の設立関係者の名簿を見れば何となく理解できると思います。碑の建立年代は、裏面の関係者の官職などから、青龍三・四(235・236)年辺りのことだろうとされています。

 彼については、『三國志演義』では、諸葛亮のいいやられ役として、いいように扱われていますが、歴史上では、魏の関中方面を預かる有能な人材でした。なんだかんだといって、北伐を実現させなかったのですから、もう少しその手腕を評価しても良いかもしれません。

蜀賊諸葛亮の文字 それは兎も角、碑文中でおもしろいのは、表の八行目(削られたところが目立つ箇所)に「蜀賊諸葛亮」と書かれている点でしょう。しかし、上の拓本を見ればお判りのように、実は発見当初、地元の人によってその箇所は削られてしまいました{ しかし、古い拓本( 挿図:『書道全集』3 所収の拓本を元に作成 )には、このように残っています。 }。完全に、諸葛亮びいきの現れですね。時代が違うと地元の人の心象も異なると言うところでしょうか。

 該当箇所は「ここにおいて、公を召しだして、上軍大将軍に任命した。・・・蜀賊の諸葛亮が上[圭β(けい:地名)]に軍隊を派遣した。公は大将軍に任ぜられて・・・。」と言った意味です。これは魏の太和二(228)年の第一次北伐(馬謖が斬られた時の事ですね)の際の事では無かろうかとされています。

 書道史の関連では、この字体は魏隷の代表的な作品の一つとされています。

※ 参考 『書道全集3』平凡社編 神田喜一郎・田中親美共監 

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最終更新日: 2003/09/25