中国史コラム1999 3-4月分


1999 1-2月分

『自立に向かうアジア』new.gif (380 バイト)よみがえる漢代new.gif (380 バイト)昆虫? 出ましたnew.gif (380 バイト)

中国史コラム目次


◎昆虫? 出ました

 既に御存じの方も多いでしょうが、大修館書店から別冊しにか『コンピュータと中国語』がでました。方々でコン中とか昆虫とか書いているやつです。御好評の『電脳中国学』(こちらは電中・電柱ですね(笑) 最近、入手できないとの声が多いようですが、実は版元で既に残り二十云冊なんですね。連休明けを目標に二刷りをかけていますので、お待ちください。)に比べて初心者向けなのが特徴です。なにせマウスとキーボードの使い方から載っていますから。

 内容は先ほども書いたように、初心者向けというか、なるべく学術的にならないように書かれています。そのためゲームやらも紹介されてます。私が書いたのはインターネットリンク集ですけれども、中華街やら漢方薬やらアジアンポップスやら、普段見ないような所まで見まくって原稿書きました。10頁分と少な目ですが、ぎっしり詰め込んで、尚かつリンク集が充実しているところを中心に載せましたので、情報の起点としても役立つかと思います。こっそりここ『睡人亭』も入れてますけどね(爆)。本当は、リンクのページの趣味の中国に載っているところも紹介したかったのですが、原稿の量的な都合で、泣く泣く削除しました。

 これを書いているときに焦ったのが、原稿書いて、編集に送って、初稿が帰ってきて、それをまた送る。この過程の間に、死にリンクが出て来るんですね。特に中国だと、単なるサーバーエラーなのか、サイト自体が死んだのか判らないのでマジで焦りました。後困ったのは、注に用語説明を入れてくれえ! と指定されたことですかね。これも困りましたよ。授業用にも使うからいいか、とパソコン用語集を一冊購入して、それを参考に書きましたけど。

 しかし電柱といい昆虫といい、リンク集ばっかり書いている割には、自分の所に反映できてないですね。いかんいかん。

 電柱を持っていらっしゃる方で、一般向けな情報を欲しい方やビジネスマン等にはこちらの方がよいです。特にMac使いの方、内田先生のコンピュータで中国語(ひつじ書房)が既に古くなった部分もあるので、最新のチップスが満載されているこちらの方がお奨めです。原稿の苦労話はそれぞれあるようで、先日編者の一人でMac使いの池田先生にも色々伺いました。

 昆虫は、電柱の倍くらい刷っていますので、全国の『しにか』を取り扱っている書店とか、大手のパソコンショップでお求めできるとのことでした。興味のある方はどーぞ。

題名 『コンピュータで中国語』
著者 二階堂善弘・千田大介・池田巧 編
ISSN 0915-7247
発行年 1999
出版 大修館書店(月刊『しにか』1999年5月号 別冊)

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◎よみがえる漢代

 連休なので、ちょっと長めに。

 本年度初めての博物館巡りでした。大阪ではエキスポランドでも六月半ばまで玉衣の展示があるので、その内見に行くつもりにしています。

 さて、この展覧会は大阪を皮切りに佐倉の歴博、青森県立郷土館、山口県立萩美術館・浦上記念館で開催されます。程良い感じで全国を股にかけてやっていますので、興味のある方は行ってみてください。

 展示内容は、長安城遺跡出土品を中心に、王侯墓からの出土品やその他参考資料を組み合わせています。中国文化というと、一般的には三彩であるとか、青磁とかの陶器・磁器関係を思い浮かべる方が多いと思います。あるいは書道や文人画でしょうか? 残念ながら漢代は焼き物の資料は美術的に見栄えの良い物は少ないです。紙が普及するのも後漢後期以降ですから、書道史の資料としては木簡や石碑になります。かといって、殷周青銅器のような重厚かつ原始的な力強さもありませんので(これはデザインや冶金技術の洗練によるものでしょうが)、所謂中国美術の中でも、意匠面も含めてちょっと異質です。しかし漢帝国自体、中華帝国の王道中の王道なので、こういってしまうと変なんですがねえ。象眼とか金属細工とか魅力的な物もたくさんあります。漢帝国崩壊後、三国〜南北朝と激動の時代が続き、美術的な嗜好もずいぶん変わっていくのが原因なんでしょう。

 さて、実際の展示物を紹介しましょう。

 最初は長安城遺跡出土品です。展示物はお約束の瓦当や床に敷く磚やら、官文書を記した木簡やそれを封印した封泥が主な物です。個人的に興味を持ったのは、骨片に文字を刻んで荷札のような用途を持たせた骨簽です。不勉強にも、漢代にこのような物が使われていたのを今まで知らなかったのですが、手のひらに載るような小さな荷札に、多い場合で十数文字の隷書が掘って有るんですね。甲骨の資料なら幾つか見たことがありますが、それに比べて隷書は画数が多い分書きにくそうです。いや、実際見ている分には非常に見づらかったですね。おそらく甲骨とは文字を刻む刀が違うんじゃないかと思います。隷書の方は先のとがった刃物で刻んだんでしょう。甲骨は三角刀のようなもので掘ったように見受けられます。

 また別に、洛陽から近年出土した文物で、熹平石経断片が出ていました。これは、後漢末の霊帝の熹平年間に、経書の文字を正す目的で作られた石に刻まれた経書のことです。展示品は『春秋』『尚書』の一部です。熹平石経の断片は、西安の碑林など幾つか存在するのですが、今回展示されている『春秋』の記された破片は、これほど多きなものは他にないそうで、その意味でも貴重です。

 陶器の製品では、工房遺跡から出土した副葬品である陶器の人形が出ていました。実際の副葬品としては、西安郊外の幾つかの墓から出ていますが、これは出荷前なんでしょうか? 始皇帝の兵馬俑より小さくて高さ60cm弱です。腕は後から別に加工したのを付けるので、本体だけなんですけど、裸の男俑なんでナニはしっかりありました。お粗末。

 その次に展示されていたのが、青銅器です。デザイン的には戦国期の衣装を引き継いで洗練さを増していますが、その分力強さが無いのは仕方ないですね。主に展示されているのは常山王墓からの出土品ですが、おもしろいのはランプですかね。鏡もいっぱい展示されていました。お金も有りましたが、王莽時代のけったいなデザインの貨幣もあります。これは一度見ておくと良いでしょう。

 そしてまた副葬陶器の展示です。漢代は死後にも地上の生活をそのまま送らせようと言う考え方が強かったので、豪華な埋葬が多いんですが、ここでもそれを反映して、様々な日常用具のミニチュアが展示されています。穀物入れやら倉庫やら竈とかですね。ここでのお奨めは、豚便所の模型。中国では便所の下に豚を飼って、人糞を餌にして育てるという習慣があるのですが、この模型では飼っている豚はもとより、トイレでがんばっている人間も表現されています。これでは被葬者がトイレに行きたくても、いつも使用中になってしまうかも(笑)。

 続いて武器の展示です。漢代に使われていた主な武具が展示されています。復元模型も展示されていますので、具体的なイメージを持ちやすいのが良いかも。でもちょっと安っぽい復元ですけどね。素材と加工精度の問題かなあ。正倉院宝物の復元模型みたいに、気合いが入った物を作れとは言いませんが… あれどこが作ったんだろう? あちらから持ってきたのかな?

 さてお待ちかねの金縷玉衣です。中山靖王劉勝の婦人竇氏の物です。その他、中山懷王墓からの出土品も一緒に展示されていますが、やはり諸侯王ですね。玉製品が多い。先日漢梁王墓出土の玉豚を見ましたが、こちらにも玉豚が展示されていました。デザインや加工精度はあちらの方が上のような気がします。

 劉勝墓出土の金属器が幾つか展示されています。動物造形や、金銀象眼されたものはいい感じですね。これは先秦期には余り見られません(戦国の中山王墓で象眼器が出ていますが。)。金属器の加工も精密になっています。細かい作品に精品が見られますよ。

 最後に参考資料として展示されている、『史記』『漢書』『後漢書』。有名な旧米沢藩旧蔵の歴博本です。これらはいずれも南宋時代に作られた木版本で、いずれも世界有数の古さを誇っています。印刷も鮮明で、未だにはっきりと見えるのは驚くべき事です。最近汲古書院から写真刊本が出ています。あれに比べると雲泥の差ですね。やっぱり先日のフェルメールもそうですが、実物を見るにしくはないというのは真実です。

 この本は、日本に伝来した後、様々な人の手を経て現在に至るわけですが、その間に室町時代の知識人であった禅僧が、あちこちに書き込みをしています。それが特に貴重なんですね。今見られない注釈書の文章が見られたりします。特に『史記』では、『史記正義』正義の佚文が見られることで有名で、『史記会注考証』にもしばしば引用されています。展示されている葉では、『困学紀聞』の引用の書き込みが見られます。

 そうそう、直江兼継の手を経て米沢に伝わったんですね。この本。いやあ、いい物を見させて貰いました。

 そういったわけで、最後に思わぬ物を見て、なかなかに満足した展示会でした。

題名 『自立へ向かうアジア』
著者 狭間直樹・長崎暢子
ISBN 4-12-403427-X C1320
発行年 1999
出版 中央公論新社(世界の歴史27)

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◎『自立へ向かうアジア』

 中央公論新社(ついにこの号から新社になりました。)の世界の歴史、アジア関連の部分としては最終号です(現代史の部分に若干記述が含まれますが。)。著者の方から頂いたので、貧乏講師の私にとっては非常に大助かりでした。

 内容は、丁度孫文が大総統になってから日中戦争〜国民党が大陸を追い出されるまでの、激動の近代史の部分です。今の方にはここいらの時代というと、とりあえず日中戦争(とりわけ南京大虐殺)が思い浮かぶのでしょうが、アヘン戦争より始まる、中国の自立の苦しみは、中華民国の始まりと共に混沌を増していきます。その中の過程というのは、この本や以前に書いた書籍などを参考にしてください。蒋介石の日記に関する本なんかも読んでみると良いかもしれません。実際の政治の局面に立ったそれぞれの思いと試行錯誤が解るかと思います。

 この本でとりわけ重きを置いているのが、日本が中華民国成立前後から、中国にどうにかして権益を得、それを維持拡大していった点です。この手の話では、すぐに南京大虐殺が出てきますが、では本当に何十万人も死んだのか? 実際にテーマとしてやってない私には言及できかねる問題ですが、それ以外にも色々日本軍がやっていたことがよくわかります。大体人の家の庭先で「我が家の生命線はここじゃあ!」と居座るのって、どう考えてもまずいんでないかと。これは現代的な感覚からの発言なんでしょうけど、実際日本はそうやってガンガン出張っていったのがあの時代です。功罪は兎も角、そういう時代でした。

 そもそもあの当時というか、民国成立期には満州を中国本土では無いという考え方もあって、福沢諭吉なんかもそういった論説を言っているようですが、孫文なんかも政治的な取引材料として満州を切り離しても構わないと考えていた節もあります。所詮孫文は漢民族なんですかねえ。溥傑も後年満洲の奪還ということを念頭に置いて日本軍と手を組んだ旨の口述をしていますが、やっぱりあそこは中華民族にとっては理念的に化外の地なんだろうか? 今では重要な部分なんでしょうけど。 あそこをはずすと、西藏や新疆も中華帝国じゃなくなるからかもねえ。ちょっと邪推すぎるかな?

 話がずれましたが、かといって、他国の領土の一部を乗っ取るのは、一次大戦後には時代的にも遅れた手法であり、たとえ北からのロシアの進出を阻んだという論法が、結果的に是だったとしても、それはあくまで日本側の利益と反するからであり、もし日露の利益が、満洲はロシアのものという結果で一致したら、そうはならなかったはずです。まあ違った一面もあるでしょうけど、全体的に見て、戦前の日本は中国に干渉しすぎたんでしょうね。それが良くも悪くも現在の日中両政府の形成に繋がり、またそれぞれの関係をも作っています。歴史とはそうした過去の積み重ねで現代を語ることですから。過去は学ぶべきものですが、何時までも過去に捕らわれていてもいけないという事ですか。

 中国関係ではないですが、同じ本に入っているインドの話、ガンジーの脱近代の理念が、非常に印象に残りました。

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